2016年01月21日

心身医療の心

[]

身体-心理-社会- [   ] の医療モデルで、

この[  ]は、身体的不調、心理的不調、社会的不調をも乗り越えることができる、

人の秘めた、奥の深い、精神の力を表しています。

池身先生は [生命倫理]、永田先生は [実存]と提唱していました。

永田先生が浜松医科大学での学生講義で、

[ ]を “4 dimentions(4次元)”と表現していたのを思い出します。

私は難解な哲学や、学問的な心理学や精神医学を、

自分の一部として取り込むことが今のところ苦手なようで、

今の自分にとって、腑に落ちる [  ]を表すと、

心理とは異なる “心”と表せるような気がします。

今、凝ってる仏教の言葉で、

心理は煩悩と置き換えています。

私が考えている[ 心 ]は、

比較的易しい言葉で表現された、

良き心の持ちようや、

良き行動で、

自分自身が実践する目標であり、

人格を磨く指針でもあります。

私が考えている[ 心 ]は、

子供のころからの両親、祖母、周囲の大人、学校の先生の教えだったり、

大人になってから、子供から気づかされたことだったり、

本からいただいた、ありがたい言葉や感動的な生き方であったり、

先祖代々のことわざや言い伝えであったり、

神様の話や宗教であったり、

自然から感じることであったり、

いろいろ‥

こころがもし難しい学問だったら、

こころを学ぶには、大学で講義を受けなければいけません。

執着から離れ、

[  ]を磨いた、いい感じを受ける心療内科の先生や学者さんたちに、

残念ながらお会いすることはありませんでした。

自分の未熟さから気づかなかったかもしれませんが。

よりよいこころや生き方の獲得は、日常の営みで実践し、身につくものであり、

講義で学ぶものではないように思います。

毎日、毎日、すべてに感謝し、慈愛にあふれ、清らかに生きていた、

与論島の“隣のおばあちゃん(パーパー)” は

素敵でした。

パーパーは両親に叱られながら必死で勉強している小学生の私に言いました、

「ナグリャーヤ(かわいそうに)、こんなにしないと幸せになれないのかねぇ。

そんなことしなくても十分に幸せなのに…。」