2016年09月09日
慢性の痛みを抱えた方に向かいあう
[心理]
慢性の痛みの臨床は、心の臨床と一致します。
決して、薬物のみで治すものではないようです。
永田勝太郎先生は「生きざまの痛み」とおっしゃっていました。
慢性の痛みの方に対峙するときの心構えをつくるために、
この薄くて小さな本を、自分に著者を写し取るように、
何度も、何度も読み込んでいます。
…内容の一説
カオスとの出会い
人並みの治療者になれば、私は満足だった。
しかし、そのことが最も難しいことだと、私は知らなかった。
患者は、本来的に人知を超えた存在である。
しかも、人は容易におごるものである。
「見えないもの」を見たと思い、了解不能なものを了解したと思いこむ。
私の雑念…
わずかな薬(リリカ、オピオイド、抗うつ薬)を紹介され、
ほんのわずかな一部を切り取った病態生理をすべてに当てはめようとする。
そして、慢性疼痛を了解したと思い込む。
著者は語る…
…
「見えないもの」とは自然であった。
…
「見えないもの」とは人間であった。
…
「見えないもの」とは人間の心であった。
…
私が付け加える…
「見えないもの」とは人の痛みであった。
さらに著者は語る…
自然、人間、人間のこころ、人間の痛みはカオスである。
人間の内なるカオス、了解不能なものとの出会いを避けないこと。
慢性の痛みの臨床(本文では精神科診療)は「見えないもの」を見る試みである。
私は…
慢性の痛みの臨床において…
慢性の痛みは「永遠と了解不能」
対峙する医師は「生涯、了解不能と対峙し続けるひとりの臨床家」
と理解しました。