雑念に代わるもの、慈しみの瞑想
[心理]
ある人が調査したところ
人間は1日に6万回、の雑念が浮かぶそうです。
そして、その90%以上が前の日と同じこと、
そして、ほぼネガティブなこと。
暗い過去や未来のことだそうです。
最近、マインドフルネスがやけに
流行ってますね。
これは、テーラワーダ仏教でいう、
サティ(気づき)を英語で表現している
ことのようです。
私も、当然、毎日、雑念が勝手に浮かんできます。
暗い過去や未来に生きるのではなく
明るい「今、ここ」に生きるため
7年前から、瞑想を行っています。
私が選んだ主な瞑想法は
慈しみの瞑想(ヴィッパサナー瞑想)です。
雑念があらわれそうなとき、
雑念があらわれたとき、
何かにつけて、
すかさず、このように、心の中で唱えます。
「私が幸せでありますように。
私の悩みや苦しみがなくなりますように。
私の願いごとがかなえられますように。
私に悟りのひかりがあらわれますように」
絶対に大切なことは
まず、「私」なのです。
これが、最初
どうしても腑に落ちませんでした。
利他の精神が大切なのではないかと。
著者でスリランカ仏教の
アルボムッレ・スマナサーラ長老によると
自分にウソをついて
ごまかしてはいけない。
自分より人が大事なんて
ウソの言葉、
偽善の言葉を
決して言ってはいけない
そうです。
自分自信が大事だと
正直に認めるところから
瞑想は始まるのだと。
つまり、人の幸福を願うこは
まず、自分が大事だと思うことから
始まると。
そして、
ここから、以下、同様のセリフを
主語だけ替えて以下のように続きます。
「私の親しい人々が‥‥‥‥」
「生きとし生けるものが‥‥‥」
「私の嫌いな人々も‥‥‥‥」
「私を嫌っている人々も‥‥‥」
アルボムッレ・スマナサーラ長老は云います。
私たちは簡単に
「嫌いな人」
「私を嫌っている人」だと、
人を差別し、
切り捨てます。
しかし、よく考えてください。
その人たちが、自分の
身近な人なのです。
ただ、優しい関係がこじれている
だけなんです。
私たちと何も関係ない人々は
好きでも嫌いでも、
どちらでもないのです。
この瞑想で
嫌な気持ちになる人は
まだ、未熟。
もし、本当に嫌な気持ちに
なるようだったら
やめるように。
‥と。
こころが成長すると
嫌いな人が浮かんでも
何とも思わなくなるそうです。
瞑想法にはいろいろあるようですが。
私は診療の合間に、
クローバー模様の壁を眺めながら、
手を洗いながら、
ブツブツと
唱えてます。
「妻が‥‥」
「子どもたちが‥‥」
「母親が‥‥」
「弟が‥‥」
「妹が‥‥」
「親類たちが‥‥」
「患者さんたちが‥‥」
「あの人が(クレーマー)‥‥」
「地域の人たちが‥‥」
いろいろ入れ替えて。
6万回の雑念のうち
優しい言葉で
ずいぶんが
入れ替わると
楽になりますね。