2016年12月08日

「苦」からみた子育て論

[心(実存)]

2500年前にお釈迦さまはこう言いました。

「人生は「苦」に満ちている。」

人の悩みや苦しみの多くは

「夫が、12時過ぎてもかえって来ない。」

「子供が、不登校になった。」

「姑が意地悪い。」

「妻が‥」

「夫が‥」

「子供が‥」

「隣人が‥」

「政府が‥」

「先生が‥」

「役所が‥」

「病院が‥」

‥‥

結局、自分がどう生きるかではなく、

自分がどう対処すべきかではなく、

自分以外の人自分の思いどおりにしたいだけ

いかに、自分の価値の中に連れ込んでくるか

いかに、自分の思いどおりの人にできるか

お釈迦様は2500年前に

「苦」の本質

「自分の思いどおりにしたいのに、それが叶わないこと」だと、

見抜いていました。

お釈迦さまは

その人本人のことを持ち込んだ場合は、

懇切丁寧に、親身になって相談にのってあげたそうですが、

自分以外の問題を持ち込まれた時には、黙って目を閉じ、

結跏趺坐して瞑想に入ったそうです。

つまり、徹底無視!

思いを無くし、受け入れた瞬間から、

悩みや苦しみは無くなってしまう

のだそうです。

父子家庭で2人の男の子を育てました。

2人とも、不登校になりました。

6年間続いています。

学校行ってほしい、勉強してほしい、

身体を鍛えて欲しい、友達といい経験をしてほしい、

仕事の邪魔をしないでほしい、などなど

思いを持っていました。

自分の思いどおりの子供になってほしい

必然、私は不機嫌となり、叱ることが多くなり、

子どもの顔色はますます悪くなり、

言葉を発することが少なくなり、

家の中は真っ暗でした。

子育ては子供を育てないこと。

親自身がどうして生きるかを考えること。

子どもに思いどおりを押し付けることなく、

そのまま、受け容れてあげられれば、

私が、楽しそうに大人をエンジョイしていたら、

私は、「苦」を感じることもなく、

受け入れられた子どもは、

自分の力で何とかしただろう、

きっと、何があっても、楽しく過ごせただろう。

つくづく反省し、

今、次男には、慌てて、楽しくしています。

お蔭さまで、

次男は、高校生活の最後の年をおう歌しており、

顔色も良く、楽しそうです。

今は、本当に気楽です。

子煩悩は、本当に「煩悩」で「苦」です

私から嫌な影響を受けたまま、

離れて暮らしている、

きっと、苦しんでいる長男、長女へ

ごめんなさい。

未熟でバカな親に付き合ってくれて、ありがとう。